@article{oai:okinawauniversity.repo.nii.ac.jp:00001677, author = {劉, 剛 and Liu, Gang}, issue = {26}, journal = {沖縄大学人文学部紀要, Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences}, month = {Mar}, note = {沈復は王国時代に琉球・沖縄にやってきた数少ない文人であり、世界で最も有名な人物(来琉人)であろう。しかし、その生涯は、中国で最も無名で平凡な人物の一人でもあった。だが、生前と死後の夫婦の愛情を描いた唯一の作品『浮生六記』は愛され、求められ、口コミや抜粋、印刷で出版・翻訳され、国境を越えて今日まで影響を及ぼしているのである。  沈復が歴史に残したのは『浮生六記』だけだが、琉球での旅行体験がなければ、『浮生六記』は別の話になっていただろう。不思議なことに、原稿や抄本はすべて発見されることなく、「雪泥鴻爪」(雲泥)のように姿を消してしまった。 偶然の発見により、最後の2 巻は再び失われ、巻のタイトルだけが残り、最初の4記のみの内容が残されている。  琉球・沖縄は、この名作と切っても切れない関係にあり、二十数カ国語にも翻訳されて世界中に広まっている。つまり、著者にとって琉球体験、最後の二つの巻に表れた琉球への観察と考察、そして自らの人生への見直し、反省、啓発は、言い換えれば深いつながりであると固く信じているのである。  沈復の多難な人生の中で、最大の報酬と支えは、「ソウルメイト(霊魂伴侶)」である妻芸娘との「夫婦恩愛」と「人生と夢」の織り成しと発展であり、それが主人公の人生と達観的な精神性への巧みな対応とくつろぎを支えているのである。  琉球への旅は、沈復の琉球・沖縄と『浮生六記』の価値と宿命的なつながりを示している。また、琉球時代にどのような生活感覚や愛着心を身につけたのか、中国の伝統的な美意識から逃れた文体を示す彼の作品が、なぜ今日も世界中で少なからず流通し、読まれているのかが気になるところだ。彼の作品は、中国の伝統的な美的関心に完全に対応していないにもかかわらず、なぜ今日でも世界中で流通し、読まれているのだろうか。  この論考では、これらの問いを探っていく。『浮生六記』著者自身の琉球への旅は、人生、感情、精神の旅と複雑に絡み合い、結びついた、複雑で崇高なものだったと考えても、決して大げさではないだろう。}, pages = {81--120}, title = {<退職記念論考>時空を超えて人生を享受する夫婦の恩愛物語 ―清の沈復の佐使 琉球・思い及びその晩年へ―}, year = {2023}, yomi = {リュウ, ゴウ} }